病と生きる:前衆院議長・河野洋平さん
- 2010年 8月 20日
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[病と生きる:前衆院議長・河野洋平さん(73)]
(産経新聞 2010年8月20日)
<息子をドナーに肝移植 助かる命1人でも多く>
改正臓器移植法の全面施行で、家族の同意による脳死臓器提供が可能となり、
10日には改正法下で初の移植が実施された。
改正法ではまた、15歳未満の小児からの脳死臓器提供にも道が開けた。
C型肝炎から肝硬変になり、衆院議員の長男、太郎氏(47)をドナー(臓器
提供者)に生体肝移植手術を受けた前衆院議長の河野洋平さん。
「臓器提供が少しでも増えて移植によって助かる命が1人でも多くなって
ほしい」と、政治の第一線から退いた今も強く念じている。
(文 太田浩信)
どういう経過でC型肝炎に感染したかは正確には分かりません。
今にして思えば、あのころ、あのときかなという程度。
注射の針を通して感染するなんて当時は知りませんでした。
議員の仕事はきつく、肉体的、精神的なプレッシャーもあってか、最初のころ
からよく「疲れた」と言っていた。
政治家になって10年目、自民党を離れ、寝る時間も惜しく飛び回っていたら
疲れ方が今までとはちょっと違う。
医者から肝臓に大きなダメージがあると言われ、安静を命じられたが、船は
出ちゃったのだから戻るわけにいかない。
そうこうしているうちに平成9年、友人の強い勧めで渡米し、肝臓の一部を
採取する検査をいやいや受けました。
結果は「肝硬変になりかかっている」。
インターフェロンによる治療を始めたが、効果が得られない。
平成12年には黄疸が出て、その後、肝性脳症で意識を失うなど極端な症状が
出てきた。
子供3人はどこかで聞きかじってきたのでしょう、入院中の私に「おやじ、
肝臓移植をやれ」と提案した。
「神様がくれた寿命でいい。人為的に引っ張る気はない」と断り、押し問答が
しばらく続きました。
7年前に母親をがんで亡くし、子供たちは「どうすることもできなかった」
との気持ちが強かったんでしょう。
「おやじを何とかしたい」と、3人ともドナーに手を挙げた。
結局、太郎が「ぼくがドナーになる」と言って。
子供ができたばかりでしたが。
そして長野県松本市の信州大学医学部付属病院で平成14年4月、手術を受け
ました。
手術のときのことはよく分からないんですね。
手術室のドアが閉まるまでは知っているけど、それから先はまったく分から
ない。
術後は1度も痛みを感じなかった。
驚きました。
手術から2カ月後に退院。
執刀医の川崎誠治・第1外科教授(現順天堂大肝・胆・膵外科教授)から
「脂っこい食べ物はしばらく控えてください」と言われたのに、病院を出て、
その足でうなぎ屋に。
注文して待っていたら、川崎先生が店に入ってきた。
顔を見合わせて、「あー」。
悪いことはできない。
それからは割合ちゃんとした患者になりました。
川崎先生にはその後も検査でお世話になっていますが、体調についての不安は
なかったですね。
臓器移植法改正の論議が起きてから何年もかかり、ようやく迎えた昨年6月の
採決の場面でもA案、B案、C案と3案が出て。
衆院議長なので前面に出るわけにいかない。
心の中で太郎らが推すA案の行方を見守っていたのですが、大差で可決され
ました。
脳死臓器提供に広く道を開くA案が1番素直ではないかと、思っていました
ので正直うれしかったですね。
今後の臓器移植のあり方ですが、太郎は「子供は親のために臓器提供するのが
当たり前で、しない子供は悪い子供だ、みたいなことになるのが1番困る。
だから、私のことを美談のようにいってもらいたくない」という。
そういうドナーのことを考えると、現在進められる再生医療というのは1つの
道筋だと思います。
【プロフィル】河野洋平 こうの・ようへい
昭和12年、神奈川県平塚市生まれ。
早稲田大学卒業。
昭和42年の衆院選に自民党から立候補し、初当選。
14期連続当選。
昭和51年に自民党を離党し、新自由クラブを結成。
科学技術庁長官などを経て、復党。
野党となった自民党で第16代総裁となり、当時の社会党、さきがけと組んで
政権党復帰を果たした。
外相、衆院議長などを経て昨年夏、政界を引退。
現在は早稲田大特命教授。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100820/bdy1008200806001-n1.htm