カテゴリー : 視覚

今度は、遠視の再手術?

[50歳のレーシック手術体験記(その7)]

(朝日新聞  2010年11月9日)

町医者だから言いたい! 長尾和宏


<今度は、遠視の再手術?>
その後、指示された定期検査に通いましたが、残念ながら遠視は一向に改善
しませんでした。
アルバイト医師の診察は形式的なものでした。

どうやら「手術失敗患者」用のマニュアルがあり、それに従った対応のように
感じました。
しかし、悪いことは続くようです。

コンタクトレンズの上からさしてはいけない眼薬をさされたり、左右を
間違えたレンズを渡されたり・・・

しかし、かけたり外したりしなくていい「老眼鏡」に出会えたおかげで日常
生活には、さして大きな支障は無くなりました。
テニスもゴルフも、なんとか裸眼でできるようになりました。

1年後検診でも、遠視の程度はほとんど変わりませんでした。
医師は今度は「遠視の手術をしませんか?」と提案してきました。
レーシックの手術をした時点では、遠視の手術は無かったが、その後、医学が
発達して可能になった、との説明です。

「先生は、その遠視の手術をしたことがあるのですか?」と聞くと、「実は
一度もしたことがありませんが、可能だと聞いています」と答えました。

「じゃあ先生は、レーシック手術は何人位したのですか?」と聞き直して
みました。
「それもしたことはない。現在、勉強中です」との答えでした。
こんな頼りない医師に質問している自分が、情けなくなりました。

レーシック手術の経験がないアルバイト医師が、術後検診や再手術の説明を
しているという現実に驚きました。
医療界の先輩として一言いたいと思いましたが、抑えました。

果たして、再手術案に応じるべきか?
「再手術料金は無料ですよ」と、アルバイト医は胸を張りました。

ホンの少しだけ迷いましたが、さすがに勇気が出ず、断りました。
(続く)

https://aspara.asahi.com/blog/machiisya/entry/j9aHNtvPk0    



近視は宝、遠視は病気:貴方は、その宝を売り飛ばしたんだ!

[50歳のレーシック手術体験記(その6)]

(朝日新聞  2010年11月6日)

町医者だから言いたい! 長尾和宏


<理想の眼鏡との出会い>
ある日、「老眼でお悩みの貴方に」という広告が目にとまりました。
何度も目にしていたであろう、そんな広告に思わず目を奪われるくらい
困り果てていました。

休日を利用してその眼鏡屋さんを訪ねました。
何冊か眼鏡に関する本を書いている社長さんが対応してくれました。
その本には、冒頭に「近視は宝!」と書かれていました。

近視は年を取れば治る、生理現象。
近視は宝、遠視は病気。
貴方は、その宝を売り飛ばしたんだ!と怒られました。

聞いているうちに、なんだか情けなくなりました。
その社長さんが作成した眼鏡は、シックリきました。
なんと、眼鏡をかけたまま、生活ができるのです。

近くも遠くもOK、という点が大変気に入りました。
さっそく、少々高いその眼鏡を購入しました。
その日から、気分が少し落ち着きました。

その社長さんに、思いっきり笑われました。
「あんた、医者やのに、そんなことも知らんとそんな手術を受けたのか?」
と。
たしかに。

私のような変なオヤジが、何人か相談に来たようです。
しかし、3時間も話し込んだ最後に、さすがに可哀そうに
思ったのかひとつだけ私を慰めるような話をしてくれました。
「昔から大きな仕事を成し遂げた偉人は、みな遠視だったんだ」何人のも
偉人の実名を挙げて、少し慰めてくれました。
その老社長の言葉には、少し元気をもらいました。


あれ以来、新聞をあまり読まなくなりました。
正確には、細かい字が読めなくなりました。
見出しや、小見出しだけで流すようになりました。

おかげで新聞がとても早く読めるようになりました。
小さな文字の本を買わなくなり、文庫本が減りました。
滅茶苦茶大きい活字の本を出版して、顰蹙をかいました。

眼鏡に関しては、本当に貴重な経験をし、知識が増えました。
さて、指示通り眼科の定期検診を、また受けに行きました。
(続く)


https://aspara.asahi.com/blog/machiisya/entry/6GvgsATcPz    

あの、メガネにつけるヒモのようなものの意味がやっと分かりました

[50歳のレーシック手術体験記(その5)}

(朝日新聞  2010年11月7日)

町医者だから言いたい! 長尾和宏


<手術後3カ月間>
近視から、正視を通りこして、遠視となったあのころの自分は、日々の生活に
必死でした。
角膜の乾燥防止のための点眼にも慣れてきました。

メガネから解放されると思いきや、何のことは無い。
近眼鏡から、老眼鏡に変わっただけでした。
近眼鏡は、かけっぱなしですが、老眼鏡はかけたり外したり。

遠くは、なんとか見えます。視力0.5ぐらいでしょうか?
夜になると車の運転は、老眼鏡無しでできました。
しかし、眼鏡をかけたり外したり・・・

あの、メガネにつけるヒモのようなものの意味がやっと分かりました。
自分自身が、まさか、あの「ヒモ」のようなものをつけるとは思いもしません
でした。

老眼鏡をかけたり外したりの生活は、大変疲れます。
生まれてこのかた頭痛を経験したことがなかったのですが、さすがに頭が痛く
なりました。

それでも、自分で決めて自分でやったこと。
誰にも文句は言えません。
「慣れるまで待とう」と思い直しました。

春の匂いがし始めた3月、思い切ってゴルフに出かけました。
生まれて初めて裸眼で見たフェアウエイーは感無量でした。
しかし、自分のボールのマークが識別できません。

普通は、自分のボールかどうか、目を近づければ識別できます。
しかし、遠視になると、いくら近づこうが、遠くから見ようが、永遠に識別
することが、できません。

ボールを打つ度に、キャデイさんに自分のボールマークを確認してもらい
ました。
何も知らないキャデイさんは、「視力障害者」として扱ってくれました。

定期健診の度に、「もう少し待て」と言われました。
1年は経過をみないと、最終的にどこに落ち着くか分からないとの説明。
そうはいっても、日々の生活は、不便になるばかりです。

レーシックが上手く行かなかった人のために提携している眼鏡屋さんで、
何度も老眼鏡の相談に乗ってもらいました。
一時は、コンタクトレンズも無料で頂きました。

33万円には、このようなアフターケアコストも含まれていたんだ。
しかしまさか、コンタクトをつけて、老眼鏡をかけるとは思ってもみません
でした。

気がつけば3カ月後には、忙しい仕事の合間を縫って、「理想の眼鏡」を探す
旅に出ていました。
(続く)

https://aspara.asahi.com/blog/machiisya/entry/dXxEKHFHRW    



店員さんに、財布の中から、小銭を取りだしてもらいました

[50歳のレーシック手術体験記(その4)]

(朝日新聞  2010年11月6日)

町医者だから言いたい! 長尾和宏


<手術後1週間>
手術翌日の12月31日に、受診を指示されました。
大晦日も診療しているのは、当院と同じです。
眼科スタッフ達への負担が、申しわけなく感じました。

点眼薬3種類が渡され、定められた通りに、さしました。
幸か不幸か、眼薬をさした経験があまりなかったので、上手く目に入りらず、
最初は苦労しました。

角膜が乾燥するため、風除けの伊達メガネを渡されました。
寝る時は、手で目をかかないように、保護具を渡され、ガムテープなどで固定
して寝るよう、指示されました。

くっつくはずの角膜がズレたら、再手術が必要と脅かされました。
寝ぞうの悪い私は、気になって熟睡できません。
しかし、指示されたことを、真面目にちゃんと実行しました。

正月三が日は、テレビを見て過ごそうと決めていましたが、テレビ画面が、
ほとんど見えません。
手術後の手術の回復には、しばらく時間がかかると聞いてはいました。

1月2日の検診には早く着いたので、喫茶店で時間をつぶしました。
会計をしようと、財布を出しても、小銭の種類が判別できません。
店員さんに、財布の中から、小銭を取りだしてもらいました。

こんなところで、人のお世話になるとは思っていませんでした。
財布を開けるのが、怖くなりました。
さすがに、かなり、へこんできました。

1月3日になっても、近くがまだ全然上手く見えません。
なんだか視力障害者になった気分で、電車に乗って通院しました。
階段が怖く、転倒しないようにゆっくり降りました。

視力検査をすると、検査技師さんが顔をしかめました。
「どうなっていますか?」と聞いても、言葉を濁されます。
何度か聞くと、ようやく「遠視」という言葉が出てきました。

そうか。
近視だったのが、「正視」を飛び越えて、かなりの「遠視」になってしまった
ようです。
近くがぼやけて見えない理由が、やっと分かりました。

このままでは、翌日からの仕事ができません。
クリニックに寄ってレントゲン写真を見ても上手く見えません。
もちろんカルテもダメ。

「エライことになったー」と思いました。
慌てて眼科の横にある、メガネ屋さんで老眼鏡を作りました。
これで、やっとカルテの字が読めるようになりました。
(続く)



https://aspara.asahi.com/blog/machiisya/entry/nVrCULHwJc
   

1人30万円なら、1日で1,000万円?

[50歳のレーシック手術体験記(その3)]

(朝日新聞  2010年11月5日)

町医者だから言いたい! 長尾和宏


<手術当日>
12月30日。
この日も当院は、まだ普通に診療して多くのスタッフや医師が働いています。
しかし、誰にも言わずに院長である私は仕事を休み、手術に向かいました。

行きの電車の中で、「今日で、このメガネとも本当にお別れだ」と思うと
なんだか、眼鏡が愛おしくなってきました。
眼科に到着すると、手術を受ける人で混雑していました。

流れ作業のように手術が進んで行きます。
両眼で10分程度でしょうか?
その日は、30人ほどの手術予定があるそうで、私は最後の方でした。

私の順番が近づいて来ました。
手術室の横で、麻酔の目薬が何度かさされました。手術台に誘導されて、
寝転んで初めて、
若い執刀医の顔を見ました。

スポットライトのような照明が当てられ、
執刀医が私の角膜に、さっとメスを入れました。
基本的に目を開けていますから、なんとなく見えています。

事前説明のように、角膜の一部に切れ込みを入れて「フラップ」にして、
角膜の半分が、横に倒されるのが実感できました。
角膜にメスを入れる厚さ、この一瞬の作業がこの手術のポイントでしょう。

切った角膜を横にしたところで、望遠鏡のような機械がピッタリ当てられ
ました。
術前検査を基に、事前にプログラムされたレーザー焼灼が、わずか10秒間
ぐらいでしょうか?
あっと言う間に施行されました。

横でおそらく、その機械の専門家(臨床工学師さん?)と、執刀医が何やら
焼灼条件について囁く声が聞こえてきます。
角膜を焼いた臭いにおいが、自分の鼻で感知できました。

角膜を、薄切りにされ、匂いがするほどに、焼かれて・・・
もう元には戻れない世界に来たんだと、改めて思いました。
太陽のように明るかった光源が、最後にゆっくり小さくなりました。

望遠鏡の中の光が消えた瞬間、完全な暗闇になりました。
なんだか、命が終わった瞬間のように感じました。
その間、わずか3分間ぐらいでしょうか。

全く同じ作業が、もう片方の眼にも施されました。
もう、正真正銘、完全に一線を超えました。
全工程、約10分間の手術が終わりました。
あっという間でした。

ベルトコンベアのように、流れ作業で手術が流れていきます。
1時間に4~5人手術するとして、1日30人位が限界でしょうか。
1人30万円なら、1日で1,000万円? と思わず下世話な計算をしてしまい
ました。

私は、その30人の中の1人。
私は、医師でもなく、特別な患者でもなく、そこでは、ただのオッサン。
執刀医と交わした言葉は、「お願いします」の一言だけ。

自分と入れ換わりに手術室に入れられる次の患者さんが見えません。
しばらく安静にしていましたが、目を開けてもほとんど見えません。
「エライことになったんかいな?」と、不安になりました。
(続く)


https://aspara.asahi.com/blog/machiisya/entry/csI0A5CfnN    




丁度、腰や膝の手術をする老人と同じような気分でしょう

[50歳のレーシック手術体験記(その2)]

(朝日新聞  2010年11月4日)

町医者だから言いたい! 長尾和宏


<術前検査>
年末も年末の12月30日が手術日と決まり、それに合わせて3回の術前検査が
行われました。
視力に変動はないか?
手術の決断に変わりはないか?

私の視力は、両目とも0.06位で、乱視がありました。
近視も乱視も、レーシックで一発で治るそうです。
近視はもちろん、乱視が治るには嬉しい、なんとなくそう感じました。

3度の検査とも、特に変化はなく、手術に問題なしとの判定でした。
視力検査を行う度、そして手術後の見え方をデモをされる度に、手術への
期待が膨らみました。

「50歳で手術しても大丈夫ですか?」と聞くと「もちろん全然大丈夫です。
沢山の方が受けています」と言って、私より年上の著名人のパネルを指し
ながら、説明してくれました。

視力1.2を目指すのか、0.8でいいのか? を聞かれました。
1.2だと、遠視のリスクがあると説明されました。
「0.8位でもいいです」と、控えめな希望を告げました。

丁度、腰や膝の手術をする老人と同じような気分でしょう。
また、白内障の手術をするのも、こんな感じなのでしょう。
術前検査は、予定通りきっちり行われました。

そして、手術の方法を、説明専門の看護師さんらしき女性が、別室で丁寧に、
納得いくまで説明してくれました。
ただ執刀医とは、当日、手術台でしか会えないとのことでした。

雇われ院長とおぼしき医師の診察も受けました。
ざっと、眼を診てから「問題なし」と言いました。
形式的な診察に感じました。

そして、最後に手術の承諾書が手渡されました。
サインして、手術当日に持ってくるようにとのこと。
細かな文字で沢山のことが、書かれていました。

どうせ、「万一失敗しても責任は負わない」といった内容だろう。
あまり熱心に読まず、手術当日まで放置していました。
自分が医療者であるだけに、承諾書はよく知っているつもりでした。

レーシック手術には、健康保険が効きません。
手術代は、33万円でした。
ただし、一生保障がついているとのこと。
紹介割引があるようでしたが、私は1人でいったので割引無し。

角膜を焼く機械には2種類あり、最新式のものを使うと3万円アップに
なるが、どちらを選ぶか? との説明を受けました。
どうせやるなら、最新式の機械でやってほしいのが人情でしょう。

日々の診療に追われて、また沢山の忘年会にうかれながらあっという間に、
年末の運命の日を迎えました。
「これでこの瓶底メガネともおさらばだ!」と期待しながら。
(続く)

https://aspara.asahi.com/blog/machiisya/entry/csI0A5CfnN    



阪神大震災の時、命よりメガネを取っていた自分がいました

[50歳のレーシック手術体験記(その1)]

(朝日新聞  2010年11月3日)

町医者だから言いたい! 長尾和宏


<オッサンがレーシックを受けた理由>
私は、50歳の時に近視矯正手術である「レーシック手術」を受けました。
手術は、失敗!?でした。
今日からしばらく、その体験をお話ししたいと思います。

レーシック手術は、通常40歳までと言われています。

私は高度の近視のため中学生からメガネをかけてきました。
高校時代はバレーボール部でしたが、相手のアタックボールが私のメガネを
直撃しガラスが割れ怪我をしたこともありました。

水泳の時は、裸眼で泳ぐと、何も見えず苦労しました。
度つき水中メガネのお世話になり、やっと少し見えます。
ハワイでは大波にさらわれメガネが流されたこともありました。

ゴルフの時、雨が降るとメガネにつく雨雫がうっとうしかった。
マッチプレーで、負けた時はメガネに八つ当たりしたことも。
雨の中、メガネ無しのゴルフをしたいと何度も思ってきました。

阪神大震災の時、咄嗟にマンションから逃げ出そうとしましたが、物が散乱
して、メガネが見つかりませんでした。
メガネを取るのか、命を取るのか?
究極の選択を迫られた時、気がついたら、メガネを取っていた自分が
いました。
我ながら、情けない、と思いました。

メガネ無しでは生きられないのか・・・・・
1度でいいから、メガネと別れて自由に暮らしたいと思いながらそれまで
生きてきました。


そして、50歳の秋、ついに誰にも相談せず、決心しました。

ネットでいくつか、レーシックに関する情報を調べました。
そしてある日曜日、1番、派手に宣伝していた、某レーシック専門クリニック
の門をたたきました。

待合室は、若者で溢れていました。
私のような年寄りは1人もいません。
なんだか、場違いな所に来た気がしました。

自分のクリニックとは比べ物にならない綺麗な待合室にはレーシック手術を
受けた芸能人などの写真が沢山飾ってありました。
テレビからは手術に成功した有名人の感謝コメントが流れていました。

当然、年齢で断られると、内心期待(?)しながら問診を受けました。
しかし美しい女性スタッフが「手術をするとこんな感じになります」と、
検眼用メガネを用いて丁寧に説明してくれました。

なんとなく、勇気が湧いてきました。
俺にも可能かもしれない、と。
しかし手術すると、2~3日は、目が使いにくくなるとのこと。

開業医は、目を使う仕事なので、2~3日も連続して休めるのは盆休みか
年末年始しかありません。
そこで、年末最後の手術日である12月30日に申し込みました。
すでに30人近くの申し込みがあり、最後の1人だと言われました。
(続く)


https://aspara.asahi.com/blog/machiisya/entry/9uP7lhXk8e   

保護中: 近視と遠視(国試2010)

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ゲームユーザーが、色覚異常用パッチを求める署名運動を開始

[モダン ウォーフェア2 ユーザーが、
               色覚異常用パッチを求める署名運動を開始]

(Yahoo! News)(ITmedia Gamez 2009年12月22日)


日本人では約20人に1人が持つとされる色覚異常。
最近発売された「コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2」で、色覚
異常を持つユーザーから「ある不満」があがっているそうです。



<DSiの電池残量ランプにも、ちょっとした配慮が>
日本でも去る12月10日に発売となった、スクウェア・エニックスの話題作
「コール オブ デューティモダン・ウォーフェア2(以下、MW2)」。
この「MW2」のオンライン対戦モードで「プレイヤー名の表示色を変え
られるようにしてほしい」という署名活動が現在、有志の呼びかけにより
行われているそうです。

通常、FPSなどで敵味方を区別する際によく使われるのが、各キャラクターの
頭上に表示された名前の「色」。
「MW2」の場合、味方の名前は緑色、敵は赤色でそれぞれ表示されているの
ですが、実はこの「赤・緑」という組み合わせは、一部の色覚異常を持つ人に
とってはほとんど見分けがつかないのだとか。
一瞬の判断ミスが命取りとなる戦場において、瞬時に敵味方を区別できない
のは確かに致命的。
上記署名サイトでは現在、修正パッチによりプレイヤー名の表示色を現在の
「赤・緑」だけでなく、「オレンジ・青」の2パターンからも選択できる
ようにしてほしいとしており、12月21日時点で約2,700件のオンライン署名が
ユーザーから寄せられているようです。


そもそも色覚異常と言うと大げさに聞こえますが、特に多く見られる「先天性
赤緑色覚異常」の割合は、日本人男性でおよそ20人に1人、白人男性では
12 人に1人とも言われており、実はそれほど珍しいものではなかったり
します。
筆者のまわりにも色覚異常を持つ知人が何人かいますが、聞いてみたところ
やはり「パズルゲームでブロックの見分けがつきにくい」、「DS(Lite)の
電池残量が減っていたのに気付かなかった」など、同じような苦労は少な
からずあったようです。

しかし一方で、最近ではこうした混乱を防ぐため、あらかじめ「赤・緑」
などの組み合わせを意図的に避ける例も増えてきています。

例えば有名なのは、ニンテンドーDSiの電池残量を示すランプの色。
これは上でも書いたとおり、DS Liteでは黄緑と赤でしたが、DSiになって色覚
異常を持つユーザーでも見分けがつきやすいよう、青と赤の2色へ変更に。

また「星のカービィ」「大乱闘スマッシュブラザーズ」などの産みの親として
知られる桜井政博氏は、「メテオス」を開発するにあたって、色覚異常がある
人でもブロックの色を見分けやすいよう配慮したことを開発リポートの中で
告白していたりもします。


こうした配慮は「カラーユニバーサルデザイン」とも呼ばれ、ゲーム開発の
現場にも少しずつ浸透してきている模様。
より多くの人が楽しめるようにするためには、色々なことに配慮する必要が
ある、というお話でした。
【池谷勇人】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091222-00000012-zdn_g-game   

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サルの色覚異常、遺伝子注入で治癒

[サルの色覚異常、遺伝子注入で治癒]

(ナショナルジオグラフィック  2009年9月17日)


新たな研究により、サルの色覚異常が簡単な細胞注入で治ることが確認
された。
人間の視覚も遺伝子治療で改善するのか、将来的な研究にゴーサインが出た
かたちだ。

研究を行ったジェイ・ナイツ氏は、「夢の治療法だ。あらゆる種類の眼疾患に
効果があるかもしれない」と話している。


色覚異常の中で1番多いのは赤と緑の区別が付かない「赤緑色覚異常」だが、
それもこの方法で治せるのだろうか。
いまの段階でそれを明言するのは時期尚早だが、ナイツ氏は自信を
のぞかせている。
「現段階でも、まったく同じ治療法で人間の色覚異常を治せるはずだ」と
同氏は言う。
眼科医であるナイツ氏は、アメリカ、ワシントン州シアトルにあるワシントン
大学で教鞭を執っている。


色覚異常は人間に最も多い遺伝病だ。
ナイツ氏によると、発症者の数はアメリカで約350万人、中国では1,300万人
以上、インドでは約1,600万人に上るという。
患者は男性の方が圧倒的に多く、この症状を抱えていてもほとんどの目の
機能に問題はない。
「しかし、地質学の研究や航空業界など、正常な色覚が要求される仕事に就く
ことができず、精神的に苦しんでいる人がいるのも事実だ。日常生活では、
秋の紅葉や夕焼けを十分に楽しめないほか、体の日焼け具合を自分で確認
できないという問題もある」とナイツ氏は説明する。


色覚異常は人間だけの病気ではなく、一部のリスザルもまったく同じ症状を
抱えている。
色素遺伝子の欠損により、赤と緑の区別が付かないのだという。
ナイツ氏の研究チームはリスザルのこの性質を利用して、色覚異常に対する
遺伝子治療の有効性を調べた。
色覚異常の個体と正常な個体を研究室に集め、研究のために訓練したので
ある。
灰色の点がちりばめられたタッチスクリーンをリスザルに見せ、ときどき点の
色を変えてみる。
合図音に合わせて、リスザルは色の変化した点にタッチするという段取りだ。
正しくタッチできた場合は、褒美としてグレープジュースが与えられた。
「しかし点が赤か緑に変化した場合、色覚異常のリスザルは必ずいら立ちを
あらわにし、スクリーンを揺さぶることさえあった」とナイツ氏は言う。

タッチスクリーンのテストを一通り終えた後、研究チームは色覚異常のある
2匹の網膜の裏側に赤に反応する「錐体細胞」を注入した。
錐体細胞は、光と色に反応する視細胞の一種である。
9月17日に「Nature」誌で発表された研究論文によると、それら2匹の
リスザルは1週間以内に赤と緑を識別できるようになったという。


マサチューセッツ州にあるウェルズリー大学の視覚神経生物学者で色覚の
専門家のベビル・コンウェイ氏はこの研究を受けて、「色覚異常のあった
リスザルたちはこの変化に大いに喜んだはずだ。生い茂った緑葉の中から
果実を見つけられるようになったのだから」とコメントしている。


人間の色覚は、数百万個に及ぶ特殊な神経細胞の集合体に支えられている。
そしてそれらの神経細胞は、成人になると比較的柔軟性がなくなるものだと
昔から考えられてきた。

このためコンウェイ氏は、たった1度の遺伝子治療で色覚異常を治せることに
驚きを隠せないようだ。
同氏は当初、この研究に否定的な立場を取っていたという。
「純粋に進化の観点から言えば、視覚の神経回路をすべて正常に戻すことは
難しいに違いない。しかし小さなスイッチを1つ切り替えればそれが可能で
あることを、研究チームはおおむね証明した」と同氏は高く評価する。


「今回の研究で、成人の脳は既存構造のままで新しいシステムに順応できる
ことが明らかになった。脳研究の前提条件の一部は再考しなければならない
だろう」と研究チームのナイツ氏は述べている。
そして同氏は次のように話を続けた。
「脳は意外に柔軟性が高く、その能力は計り知れない。不可能とされていた
治療が今後は実践されるようになるはずだ」。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090917-00000001-natiogeo-int

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