金子みすゞ:小学校の国語教科書に採用
[金子みすゞ]
(Wikipedia)
<忘却と再発見>
金子みすゞの詩は長らく忘れられていたが、岩波文庫『日本童謡集』の
「大漁」を読んだ児童文学者の矢崎節夫らの努力で遺稿集が発掘され、
1984年に出版されるや、瞬く間に有名になった。
現在では代表作「わたしと小鳥とすずと」が小学校の国語教科書に採用されて
いる。
東京大学の国語の入試問題に採用された作品もある。
また、このことをきっかけに地元長門でもみすゞの再評価が行われることと
なり、みすゞの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ
記念館が開館。
みすゞが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示
されている。
<音楽化と詩の広まり>
2006年12月には「わたしと小鳥と鈴と」の詩に、作曲家の杉本竜一が曲を
作り、テノール歌手新垣勉がアルバム「日本を歌う」内で発表している。
この楽曲は、その年のNHK「みんなのうた」でも放送された。
数々のヒット歌謡の作曲家である浜圭介は、盟友大津あきらの墓所を訪れた
ことをきっかけにみすゞを知り、その壮大な世界観をフルオーケストラで表現
したいと、8編に作曲。
編曲・服部隆之、指揮・佐渡裕、演奏・新日本フィルハーモニー交響楽団、
テノール・佐野成宏、ソプラノ・佐藤しのぶという豪華メンバーでの
レコーディングを経て、CD「みすゞのうた―金子みすゞmeets浜圭介」
(エイベックス・クラシックス)をリリースしている。
<概略>
金子 みすゞ(1903年/明治36年4月11日〜1930年(昭和5年)3月10日)
は、大正時代末期からn昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。
本名、金子テル。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの
詩を綴ったとされる。
1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する書店・上山文英堂の番頭格の
男性と結婚し、娘を1人もうける。
しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性
問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。
みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろ
めたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。
さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に
正式な離婚が決まったが、手続き上は成立していない。
みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も1度は受け入れたが、
すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。
夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願
する遺書を遺し服毒自殺する。
矢崎節夫著の『金子みすヾ童謡集』によれば「カルモチン」を服用したと
される。